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2014年5月21日水曜日

非洗練の効能について

今日はいつまで経っても本降りの雨。足元にはお気をつけください。

 開店前に乃木坂の新国立美術館で開催中の「イメージの力 国立民族学博物館コレクションにさぐる」を見てきました。古今東西の造形から見てとれるイメージに人類共通の普遍性はあるか、というテーマが掲げられていますが、もちろんそんなお題目を知らなくても、おもしろフィギュア一挙大集合といった趣を十分に楽しめます。
 パプアニューギニアの神像、メキシコの仮面、秋田のナマハゲ、インドネシアの人形、アボリジニの遺骨容器、ミャオ族の民族衣装、アフガニスタンの子供用帽子、セネガルのブリキの玩具、マダガスカルのはしご・・・400点以上の「もの」が館内には展示されていて、地理、風土、民族性の違いがたしかにそのまま造形の違いとして現れているように見えます。しかしどんなに奇異なデザインであっても、帽子は頭にかぶるもの、仮面は顔に付けるものとして作られ、神像や人形は人の姿をデフォルメしており、容器は入れ物だし、玩具はおもちゃです。造形の多様さを見せつけられるほど、構造そのものは案外変わらないのだと思いました。
 ただ、やっぱりその造形はすごいです。例えばマレーシア、クニャー族の狩猟神の像。神像とか言って、土田世紀が描くシンナー中毒の高校生みたいに視線の定まらない表情の神様のどこを敬えと言うのか。センスのあるなしの相対的な話ではなくて、民族の古層と言うべく集合意識がこの造形を招来したというのならば、美的感覚とはいったいなんでしょう。素敵とかおしゃれとかカワイイものに収斂しがちな日本の物売りの線の細さにとって、圧倒的な他者として立ちふさがっているように思います。
 ゴーギャンやピカソが自分の作品にエジプトやアフリカを導入して、貧血状態の西欧美術界の活性化を試みたように、今日の展示を当店にも活かせないだろうかと、不相応なことを考えるフリをして時間が過ぎていきます。

 
 
 

『20世紀美術におけるプリミティヴィズム』
ウィリアム・ルービン編 淡交社     
1995年4月26日初版 函入全2巻+補遺冊子 
SOLD OUT 

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