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2015年3月30日月曜日

ガブ

4月5日(日)は有楽町の東京国際フォーラムで開催される
大江戸骨董市に出店いたします。

6日(月)は出張仕入のため臨時休業いたします。
7日(火)は仕入から戻りしだい開店します。13時頃までには
開けられるかと思います。
なにとぞよろしくお願い致します。


 東京都現代美術館で開催中の「ガブリエル・オロスコ展---内なる複数のサイクル」を見てきました。オロスコは、フランスの大衆車シトロエンを3つに切断して、真ん中だけ除いてまたくっつけるという、レディメイドの変化球みたいな作品で有名になったアーティストです。初めてその実物を見ましたが、車のような確固たる物質感を持つ素材を扱ってもあまり重厚な感じはなく、どこか軽やかな印象があります。同じ展示スペースの壁面には、なぜか日清どん兵衛の空容器が貼り付けられていて、学芸員が昼ご飯を片付け忘れたのかと思わされますが、それも作品です。次の展示スペースでは、天井に回るシーリングファンの三枚の羽の先端それぞれにトイレットペーパーが乗せられ、華麗な螺旋を描いているのが見られます。このように扱う素材が違いすぎて、ひとつの作品に拘泥して意味を見出せないのですが、既に在るものに少し手を加えて提示するという共通点はあります。どれも洒落てる上に程よいくすぐりが効いていて、一見しての難解さはありません。見てると自分のセンスが2ランクぐらいアップしたかのような錯覚さえ覚えます。
  仮に誰かが同じことをしても、割と面白いことをする気の利いた人と思われるだけかもしれません。オロスコのように現代美術の文脈の中でしっかり評価されるのとは、どういう違いがあるのでしょうか。目白の店に並ぶと輝いて見えるのに、同じものを当店に置いても誰も見向きもしない事態に似ているかもしれません。オロスコの素敵さを身につけたいものです。
 というわけで、今週もよろしくお願い致します。


黄色くて四角いもの

紙をクリップで留めた形の妙
スイカの上にネコ缶




スリムになったシトロエン


日清どん兵衛
オロスコ本人が食べたものだそうです


エンジンは無いので走れず


真似してみたいですね

領収書にドローイング






 
 

死を欠くのか、詩を書くのか

ある詩の話では
毛を一本手のひらに落してみたといふのです
そして
手のひらの感想をたたいてみたら
手のひらはしらないふりをしてゐたと云ふのですと
                    -----------------尾形亀之助 


 28日(土)に『詩について・対話篇』の第二回が当店にて開催されました。いずれ世を動かす俊英たちが集う、さながらマラルメの火曜会のごとき会合です。ただし店主は前回と同じく、端っこで菓子をぼりぼり食べているだけの存在ですので、残念ながら俊英と呼ばれ得る立場にはありません。
 この手のイベントは始めの勢いこそ良くても、徐々に初期衝動が薄らいできて、二回目以降は永久に開催されなかったりするものですが、主宰の古溝さんの素晴らしい采配により、当初の目標である隔月開催がきっちりと実現しました。参加人数こそ減りましたが、今回初お目見えの方が三人もいました。うち一人は当店のお客様で、イベント告知を見て興味を持っての参加表明。てっきり見学のみかと思いきや、なんと詩を一篇書き上げてきました。ほとんど初めてという詩作で歴戦の猛者たちから批評を受けようとする、まるで宮崎アニメの主人公が持つような真っすぐな勇気に心打たれました。
 それにしても詩に限らず、写真、陶芸、絵画、彫刻、音楽、ダンス、かっぽれなど、何かを表現しようという人は、この世にずいぶんたくさんいるものです。当店がそうした人たちにとっての、シティ・ライツ・ブックスと談話室滝沢の中間のような存在となることができれば、それは望外の喜びです。


後列左から
『マラルメ詩集』鈴木信太郎訳 創元社 
1949年6月20日初版 カバ欠 600円
『パリュウド』アンドレ・ジイド 堀口大學訳
第一書房 1932年6月20日普及版初版 
シミ 背痛み 400円
前列左から
『象徴主義運動の文学運動』アーサー・シモンズ 前川祐一訳 
冨山房 1993年7月14日初版 帯 500円
『テスト氏』ポール・ヴァレリー 粟津則雄訳
福武書店 1990年6月15日初版 450円
『楽しみと日々』マルセル・プルースト 窪田般彌訳
福武書店 1990年1月30日3刷 600円








 

2015年3月23日月曜日

ひかり長閑けき

24日(火)は所用のため17時に閉店いたします。
なにとぞご了承くださいませ。

27日(金)は仕入のため15時頃の開店となります。
また、28日(土)は『詩について・対話篇』開催のため店舗は終日貸切となります。
よろしくお願い致します。


 昨日は乃木神社で開催された骨董蚤の市に出店してまいりました。仕入不足、不景気、グローバリズム、格差社会、杉花粉等、様々な要因と戦いながら人は古物商として成長していくのだと感じました。と、とってつけたようなことを言っておりますが、麗らかな春の日和の下で、綻ぶ桜のつぼみを見やりながらの行商は、ちょっと雅びやかでさえあります。もっとも、そんなふうに都の貴族ぶってる場合でなく、本来ならばマッキンゼー・アンド・カンパニーのアソシエイトばりに、迫り来る諸問題を分析し解決していかなければならない身なのですが、そうたやすく外資系コンサルタントのようには振る舞えないものです。半日、境内をぶらぶらしたり、仕入になりそうなものを物色したり、おにぎりを食べたりして過ごしました。自分がこれまでに参加した乃木の市では、いちばんたくさんの人出があったように思います。お立ち寄りいただいた皆さま、ありがとうございます。暖かな良い季節になってきて、世の人々の財布のひもがつい緩むことを期待しております。
 それでは今週もよろしくお願い致します。


『路傍』殿村菟絲子
竹頭社 1960年4月8日初版 
水原秋桜子・石田波郷序文
函 小口少シミ シミ頁あり
2,000円

『和語』細見綾子
風発行所 1970年1月3日初版 函
2,500円

 夜の櫻野猫姙り慰むか 菟絲子   

浅蜊汁熱くしてのみ花も過ぐ 綾子





 

2015年3月21日土曜日

とびだせ、大作戦!

22日(日)は乃木神社の骨董蚤の市に出店いたします。
皆さまのお越しをお待ちしております。


 ジャン=リュック・ゴダール監督『さらば、愛の言葉よ』を見てきました。ゴダールが3Dの映画を撮るという話を聞いた時には、家から手作り立体メガネをかけたまま映画館に駆けつけなくては!と意気込んでいましたが、封切り後しばらく経ってしまい、結局いまになってようやく見ることができました。ゴダールの3D映画製作というのは、例えるならば大江健三郎が富士見ファンタジア文庫からライトノベルを刊行するようなものだろうか?ぐらいに考えていたのですが、実際は完全にそれを凌駕する凄い事態でした。
 まず、3D映画鑑賞用のメガネというのが、子供向け科学雑誌に綴じ込みで付いてるような赤と緑のセロハン仕様のものではないことを今回初めて知りました。入場時に借り受けるメガネは、なにやら信号を受信して平面を立体に錯視させる精密機器なのでした。それをかけて見るゴダールの凄さ。ほんとに飛び出しやがった、というのが素直な感想です。映画創成期、リュミエール兄弟の「ラ・シオタ駅への列車の到着」を見た観客は、画面上の迫り来る汽車に叫び声を上げて逃げ出したと言われていますが、今回のゴダールの映画もそんな草創期の驚きに満ちたものです。
 ゴダールの映画が難解だと言われるのは、映像と音の絶え間ない切断と溢れかえる引用のせいでしょうか。平面で見ると、どうしても登場人物の台詞やショットのつなぎが、なんらかのストーリー展開に加担していると思い込んで見てしまいがちですから、その見方でゴダールの映画を楽しむのは、たしかに難しいでしょう。しかしこれが3Dになると、状況は一変します。男と女がいて、誰かの声がして、車が走り去って、空を鳥が横切って、岸辺に水が押し寄せ、犬が転げまわる。ふだんの私たちが生きている世界と特に変らない出来事が錯視による立体空間で69分間ほど展開されて、なんだこれは、どうなってんだ、すごいな、と思っているうちに終わる。一種のスペクタクルであり、この作品がアメリカで受けたのも分かる気がします。
 果たしてこれほどの驚きを古物の売買でも齎すことができるのでしょうか。石野真子がジュリーがライバルと歌ったように、ゴダールがライバルと古物業者は言い得るのでしょうか。

 
 
 
『別れる理由 Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』小島信夫
講談社 1982年初版 函帯 月報

小説表現を三次元化したとも言えそうな小島信夫の
問題作。虚実の混交ぶりが凄い。        

8,500円

 

 

2015年3月16日月曜日

存在論的、道具屋的

20日(金)は仕入のため14時半頃の開店になります。
22日(日)は乃木神社で開催される骨董蚤の市に出店いたします。

24日(火)は所用のため17時に閉店いたします。

28日(土)は「詩について 対話篇」の第2回目開催のため
店舗は終日貸切りです。このイベントについての概要はこちらのページをご覧下さいませ。


 天候不順による中止や所用などで長らく出ていなかった骨董市に、昨日久しぶりに出店してまいりました。あまりに久しぶり過ぎて、まず前日の荷詰めの段階から既にずいぶんと手際が悪くなっており、釣銭と梱包材の準備や持ち物の確認など、段取りの按配も覚束なく、徐々に自分が何をしているのか分からなくなってくる始末。その内、なぜ自分はこんなところにいるのか、どこから来てどこへ行くのといった問題に苛まれ、まったく手が進まないので、結局はそこらにあるものを適当に詰め込んで準備終了。
 なにやら体感が骨董市仕様を忘れているようで、当日もやや寝坊気味。ただ、当店から東京国際フォーラムへは歩いて行けるので、そこは少し余裕をかます余地があります。外はもうあちこちで花が咲いていて、花見をしながらの道中は、花粉の猛攻を受けながらも良い気分になってきます。ソメイヨシノじゃない桜とかビル街によく植わっているピンクの花は満開で、ハクモクレンあたりがそろそろ咲きそうでしょうか。
 で、売上はというと、そこそこまあまあ普通としか言いようのないものでした。出かける際には、売上でビルでも建ててやるかというハッタリの暗示をかけるのですが、実際これではプレハブも建たないし、犬小屋も虎斑柾目のナラ材なんかを使ったら建てられないでしょう。それでも今回は場所が良かったようで、たくさんの人に立ち寄っていただきました。また泣きながら仕入に奔走してまいります。
 それでは、今週もよろしくお願い致します。



小さなガラス瓶

9×5×2,2センチ
こういうのは何を入れていた瓶なの
でしょうか。肩の線と角の取り方が
絶妙です。           

SOLD OUT



都会にもモサモサと花は咲きます。

2015年3月9日月曜日

谷保紀行(たにやすのりゆき)

12(木)は仕入のため15時頃の開店、
13(金)も仕入で14時の開店となります。
15(日)は有楽町の東京国際フォーラムで開催される
大江戸骨董市に出店いたします。
なにとぞよろしくお願い致します。


 国立市谷保にあるcircleで開催中の「伏木庸平『ケ』」を見てきました。谷保駅には初めて降りたのですが、どことなく北鎌倉的な、土地の力満載といった空気が漂っているのを感じました。北口を降りてロータリーから真っすぐ進めば、きれいに区画された道路を辿って国立駅に着きますが、その日の目的地に行くには、回り込んで線路を越えて反対側に向います。circleは空き家になった地元名士の敷地を改修して作られた「やぼろじ」という有志のコミュニティの一角にある本屋&ギャラリーです。駅からの道のりは、分かりやすい地図が用意されているので迷うことはありませんが、途中どうかと思うほどの細い路地に入り込むので、そこでちょっと怯むかもしれません。その路地脇にある共用の畑の辺りに、大変いい顔をした猫がいました。こんな面構えの猫が悠々と徘徊しているあたり、やはり谷保というのはすごい土地であるようです。

にゃーと一声啼いて近づいてくるも、
 触らせるでもなく逃げるでもない絶妙な
  距離を保ちます。どうやら「くーちゃん」
   という名があるようですが、風貌からの
     連想だと「ブッチャー」か「ボブチャンチン」。


 さて、伏木庸平さんの作品というのは、布切れに色とりどりの刺繍糸を執拗なまでに刺し続けたもので、過剰な糸の集積により、基盤となる布は縒れ、捻れ、平面から逸脱してタブローからスカルプチャーに生成する様を見せています。壁面に据え付けられたいちばん大きな作品などは、盛り上がる糸が生命体の様子を帯びて、まるで原生動物から海綿、棘皮動物への進化過程の絵巻のようにも見えます。刺繍という表現形態は、刺す行為が端的に身体性の強いアクションであるから選んだものであると、伏木さんは言います。細い糸を刺し込んでいくので、それを作品と呼び得るまでにはどうしても時間がかかります。その時間のおかげでしょうか、叩きつけるようなダイナミズムや身体の情念はやわらぎ、伏木さんの作品は、縄文の土器や土偶の造形が洗練されているのと同じ意味で洗練された印象を与えます。
 展示場所のcircleさんは古い蔵に手を入れた、天井の太い梁と窓から入る光と谷保が持つ謎の力が渾然となった素晴らしい空間です。ここで伏木さんの作品を見てたら、不思議な気分になってきて、家賃や年金の支払いなどが夢の彼方に吹っ飛んでしまいました。外に出ると、カフェとして使われている隣の家屋の庭の梅が満開で、いっそう夢気分は深まるばかり。
 甲州街道でバスに乗って、谷保天満宮の鳥居を左手に見て右折した辺りで、急に雰囲気が変わって目が醒めました。国立で小島信夫になったつもりでロージナ茶房に立ち寄り、ビーフドリアとレアチーズケーキをもりもり食べてから、北口の器や古道具のお店をのぞいて帰宅しました。



縄文早期の土偶
千葉県船橋市(BC8800年頃)
  縫い進めていく中で造形をコントロール
することは出来ないとのこと。   
    DMに使われたこの作品はあたかも     
 縄文土偶のよう。            














2015年3月6日金曜日

文字文字する人たち

 駒場の日本民藝館で今月22日(日)まで開催中の「文字の美---工芸的な文字の世界」を見てきました。井の頭線の駒場東大前駅から民藝館までの道では、春の訪れを寿ぐかのように、そこら中に梅の匂いを漂わせていました。背中に陽を浴びながら、閑静な住宅地を歩くのは気持ちが良いものです。いったいこの辺りの家賃相場はどれくらいなのか、もしかして賃貸物件なんて存在しないのか、仮にあったとしても自分には永遠に縁のない土地なのか、そんなことを考えているうちに民藝館に到着。玄関前の紅白の梅も満開です。
 今回の展示では、文字の美しさを突き詰めていくと工芸的になる、という柳宗悦の文字・書に対する考え方を反映した作品が並んでいます。支持体は必ずしも紙というわけではありません。布だったり陶器だったり鉄の道具であったりして、そこに染め抜かれたものや彫られたものも、それが文字であれば柳の眼の対象になるわけです。柳が自分の好みを表明するときの常套手段にしているのが、確立した権威をまず批判することですが、文字の世界において、その対象は王羲之です。曰く、技巧に長けた書というのは我執の顕われであって、王羲之の書くものは漢や六朝の碑文の美しさには及ばないと。こうした考えはややもすると、個々の技術の研鑽を否定し、素朴なヘタウマ礼賛に聞こえますが、それでも柳が選んだものは、見ていればたしかにどれも欲しくなってきます。今回は取り急ぎ、木綿に胡粉を塗って墨染めしたという大の字文暖簾と月山牛王宝印の版木だけ貰っておいて、残りは後日また取りに来ますと深澤館長に伝えておいてください、と端に座っている学芸員の方に言づてしようかと思ったほどです。
 民藝館は企画展示以外の陳列もいいもの揃いです。堅手鉄砂草文の半筒茶碗と鴻巣人形の宝船は、誰にも言わずに持って帰りたいものだし、獅子や薬壺の描かれた江戸の早い頃の絵馬も、クートラスに遥か先駆けて作られた瀟洒で素敵なもので、ポッケに入れていつも持ち歩きたいと思いました。



 


紅梅と青空


「懲」という字です。なんでもかんでも欲しがる
 人間は懲らしめてやるという意味でしょうか。  


2015年3月2日月曜日

春の物体

3日(火)は仕入のため13時に開店いたします。
5日(木)も仕入です。15時頃の開店になります。
なにとぞよろしくお願い致します。


 ふと店内を覗き込むと、やけに精巧な作りの人型のオブジェが置いてある。好奇心に駆られてこわごわ店に入って見てみると、オブジェではなく、微動だにせずうなだれているそこの店主だった、というのは古本屋や古道具屋ではよくある話です。世事の喧噪のすべてを遮断するかのごとく、一個の物体と化した古物業者。古物を愛するあまり己自身を物に模しているのか、家賃の支払いの算段から逃避するために防衛機制が働いたのかは定かではありませんが、晴れた日の昼下がりや雨の夕方などに往々にして見られる光景です。世間と隔絶された空間に一定時間以上いると、人はそうなるのかもしれません。おそらく春眠暁を覚えずとは、また別の身体反応でしょう。そろそろ啓蟄、皆さんも古本・古道具屋巡りにお出掛けの上、各店店主を観察してみて下さい。


『瀧口修造の詩的実験 1927〜1937』
瀧口修造 思潮社 
1971年12月15日縮刷版初版 
添え書き付 函シミ

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