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2016年4月26日火曜日

四月の風

27(水)・29(金) 漆まみれの人生劇場「雄壱郎雑記」でお馴染み、
相田雄壱郎氏による金継ぎ教室開催のため18時閉店

30(土) 日本全国の民俗芸能を独自の目線で紹介する「仔鹿ネット」の
発表会を当店にて緊急開催。題して『仔鹿のまなざし』。第一回目は
八戸のえんぶりについて。参加ご希望の方はこちらから→入っていただき、
予約フォームよりご応募ください。「参加予定」をクリックするだけでは
予約完了になりませんので、ご注意のほど。

6/9(木)〜12(日) 中央区に星くずのように散らばる古道具店をつなぐイベント
点店』がまたもや開催されることになりました。
今回は第三回目、4店舗9業者の参加です。

マサチューセッツ生まれのケヴィン・シストロムが開発したインスタグラムに
店舗の商品を少しずつアップしています。あわせてご覧ください。
こちらから→👃

どうぞよろしくお願いいたします。


 突然、もはやどうにもならない!という思いで胸がいっぱいになり、あてもなく店を飛び出すも、小腹が減ったので、ゆで太郎でかきあげ丼セット(500円)を食べたら、我に返りました。単に空腹だったようです。途中、理容「花菱」の店先で、店主のおじさんが丹精込めて育てた藤の植木が、満開になっているのを見ました。
 

植えてから20年、花を咲かせるようになって15年
ぐらいだそうです。             


 都内で藤の名所といえば亀戸天神ですが、盛りの時期はレッスルマニア開催時のマディソン・スクエア・ガーデン並みの混雑で、とても花見と洒落込むどころではありません。
規模の大小を云々しなければ、小さいながらも見事な藤の木を見られる八丁堀二丁目に足を運び、その後当店で古本なり古道具なりを物色したらいいじゃないですか!と声高に且つ捨て鉢気味に叫びたくなる4月のある日、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
 すでに月末に差し掛かりましたが、予定しているイベントが上記の通り二つあります。ひとつは、すでに第一回目が先月に行われた金継ぎ教室です。漆工界のディック・マードック、相田雄壱郎氏が講師を務めるワークショップ。こちらは定員満数になっております。
 もうひとつが、今も残る民俗芸能を求めて、全国津々浦々を駆け巡り記録する「仔鹿ネット」という情報サイトの発表会です。今後回を重ねていく予定ですが、まず一回目は青森県八戸市の「えんぶり」。田植え踊りから派生した、五穀豊穣などを寿ぐ予祝芸能と呼ばれるものです。田植えのときに使う柄振(えぶり)が転訛してえんぶりになったと言われています。打合せの時に断片映像を見せてもらいましたが、観光行事化していると言われながらも、不思議な洗練と仄かな気味悪さを垣間見ることができて、目が離せなくなりました。

こんなふうに見ると確かに観光行事のようですが・・ 
むやみに大きな烏帽子を被っての踊りは、理不尽なほど
身体的負荷も大きいはずです。           

レミー・キルミスターを偲んでのヘッドバンギング?
と思わせるほどに激しい舞。           

この道化役の洗練ぶりは要注目です。

 というわけで、残りわずかな4月もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 


 


 

2016年4月11日月曜日

いざ最悪の方へ

17日(日) 有楽町東京国際フォーラムの大江戸骨董市に出店
22日(金) 仕入のため14時開店
27日(水)・29日(金) 筆鋒鋭い「雄壱郎雑記」が好評の相田雄壱郎氏による金継ぎ教室開催のため18時閉店

なにとぞよろしくお願いいたします。


 長野県松本市まで行商に行ってきました。日帰りでは苛酷なので、高速バスで前日入り。途中、諏訪近辺の事故で一般道へ迂回。低速バスになってしまいましたが、街中にありながら山懐にいだかれて尚且つ湖に近いという、豊かな土地柄を窺い知ることができて、これなら縄文人の住みたい土地ランキングの上位に入るのも頷けるなーと思った次第です。
 定刻から1時間遅れで松本に到着、宿に荷物を預けてから城下町散策に出かけました。まずは腹ごしらえですが、野麦で蕎麦食って直後にマサムラでお茶という暴挙に出てしまいました。これが松本マジックというやつでしょうか。
 その後バスで松本民芸館へ。『雑器の美 日本のやきもの』という企画展を今月17日まで開催中です。洗馬、染屋、入道といった、いきなり目の前に出されても何焼きか言い当てられそうもないものばかり並んでいました。特筆すべきは、ここを訪れるすべての人を震撼させずにはおかない、松代の「ひよこの水やり」でしょう。なんでまたこんなものが地球上に産み出されてしまったのか、大いなる疑問符を消し去ることができません。


これが伝説の「ひよこの水やり」。



 陳列されているものが駒場に比べると遥かにユルいので、見ている間は薄笑いを禁じ得ないのが、ここのいいところかもしれません。展示物撮影可というのも素敵です。

シーサー

奪衣婆

松本民芸館外観

 いい陽気だったので、復路はとぼとぼと花見がてら歩いてみました。来るときにバスから見えた松本城の桜もすごかったのですが、そこらに植わっている樹もモッサリと花をつけて、まさにこの日が見頃といった感じでした。


いつだってトンガっている常念岳を    
見つつ花吹雪に塗れながら歩いていました。

モサモサ

国宝


 さて次の日の蚤の市は、木工作家三谷龍二氏のギャラリー「10センチ」にて開催。当店史上稀に見る大惨敗で、松本の地にくずおれたまま二度と起き上がることも適わないので、このまま三谷さんに食わせてもらって生きていくことも考えましたが、なけなしの気力を振り絞って、またもマサムラへ。ベビーシューとショートケーキを食べたら割とあっさり復活しました。




 というわけで、今は八丁堀に戻っております。今週もよろしくお願い致します。


仕入も少しできました。








2016年4月8日金曜日

嗚呼鳴子

9日(土) 臨時休業
10日(日) 長野県松本市大手二丁目にある木工作家三谷龍二氏のショップ『10センチ』脇の空き地で開催される10センチノミの市に出店
17日(日) 有楽町東京国際フォーラムの大江戸骨董市に出店
27日(水)・29日(金) 「雄壱郎雑記」でおなじみ相田雄壱郎氏による金継ぎ教室開催のため18時閉店

どうぞよろしくお願いいたします。


〜前回までのあらすじ〜
 鳴子温泉までの道中で、ひとりみちのく膝栗毛を繰り広げる八丁堀の古物業者。途中駅から乗り込んだ列車内で、ついにこの旅の黒幕と合流するのだった・・。

 駄文に引きずり回されて、本当なら12行ぐらいで済みそうなネタがいつまでたっても終わらず。もう無理やりにでも今回で終わらせます。これと言って意味のない三部作、ついに完結です。
 列車に乗り込んで中を見回すと、ひとり掛けの席に座っているA氏がすぐに見つかりました。ボックスシートに移って向かい合わせに座り、車窓の外の名前も知らない山を目で追っていたら、鳴子温泉に到着。まずは腹ごしらえに、駅からほど近い一軒の蕎麦屋に入りました。すでに何度もこの地に赴いているA氏行きつけの老舗です。ゆで太郎以外の蕎麦屋に動揺したのか、割と高い鴨せいろを注文してしまいました。
 宿泊する旅館が迎えを出してくれるとのことなので、いったん駅に戻り、ローマ闘技場のようなすり鉢状の作りになった待合室に行きました。大画面TVを見られる設えになっているのですが、温泉の硫黄成分でTVがすぐに故障してしまうので、今では外されたままになっています。懐かしのふるさと創生事業の交付金で設置されたとのことですが、もらったお金を上手く使いこなすというのは、やはり難しいものでしょうか。

「なる子ちゃん」の看板だけがやたらと
     目立つ鳴子温泉駅前。            

 しばらくすると迎えの車が到着。側溝から立ち上る湯気の間を抜けて、今夜の宿を目指します。山に抱かれた隠れ家のような宿だと聞きましたが、たしかに広い敷地に簡素な看板がひとつあるだけで、それを見落としたら普通の民家のようです。まったく隠れ家ぶってないところが、真の隠れ家なのかもしれません。部屋に通されて座り込むと、頭頂葉に留まっていた疲労が全身に下りてきて、そのまま永遠の眠りにつきそうでした。
 A氏が自分を鳴子に連れ出したそもそもの理由は、この宿のすぐ近くに工房を構える漆芸家のO氏に引き合わせるためなのです。引き合わせてどうするつもりなのかは、A氏にいろいろ画策があるようなので、また追ってお知らせすることになると思いますが、まずはわけの分からないものに囲まれた空間から脱出して、現役の凄腕の職人の話でも聞いておけという配慮かもしれません。どんな話であったか、いちいち描写していたら、13章ぐらいになってしまいそうなので割愛します。朱塗の飯椀をひとつ頒けていただいて宿に戻りました。

欅の本堅地。 
店で撮ったので、塗り肌に外の     
     山口封筒店が映り込んでいます。         
かつて柳宗理が「ご飯が美しく見える」と
    大人買いしていったそうです。         

 次の日、A氏は別件で石巻へ。ひとり残されるも、帰りも夜行バスなので、それまで時間をつぶさなければいけません。しかしA氏の根回しと宿の主人のご好意で、チェックアウト後も部屋にいてよし、更に温泉入り放題、時間が来たら駅まで送るという国賓のような待遇を得ることになりました。ここはお言葉に甘え、つげ義春魂を全開。ひとしきり部屋でごろごろしてから、温泉にダイブ。鳴子は駅前こそ硫黄の匂いに満ちていますが、場所により違った泉質を持つ温泉郷だそうで、実際この宿の湯は単純泉の弱アルカリ性です。ぬるめなのでいくらでも入っていられて、いっそここで暮らそうかと思ったほどです。
 湯から出た後はそぞろ歩き。お腹が空いたのですが、周りには外食できるところが見当たりません。一軒ある中華料理屋は休み。ようやく見つけたのが、トラック野郎御用達みたいな、ふだんは見過ごしがちな構えの店ですが、勇気を出して入って塩ちゃんぽんを食べました。

この地面の盛り上がりは古墳です。 

伊達政宗の時代に戦の目印にと植えられた
との謂れがある杉のひとつ。      


 日が暮れて、ご主人に駅まで送っていただき、オススメの蕎麦屋で天ぷら蕎麦を食しました。外に出てぶらぶらしていると、オフシーズンの夜の温泉街の侘しさで鼻血が出そうになりました。さっきいい気になって、お湯に浸かり過ぎたのかもしれません。

夜のこけし屋。

 この旅で得た教訓は、夜行バスを使うのは、せいぜい行き帰りのどちらかにしておいた方がいいということでしょうか。とにかく凄まじく疲れましたが、関東では入手できない飯椀を得ることができたのは素晴らしい収穫でした。
                                 (おすぃまい)







2016年4月5日火曜日

頓痴気道中

8日(金) 仕入のため14時開店
9日(土) 臨時休業
10日(日) 長野県松本市大手二丁目にある木工作家三谷龍二氏のショップ『10センチ』脇の空き地で開催される10センチノミの市に出店
17日(日) 有楽町東京国際フォーラムの大江戸骨董市に出店
27日(水)・29日(金) 「雄壱郎雑記」でおなじみ相田雄壱郎氏による金継ぎ教室開催のため18時閉店

どうぞよろしくお願いいたします。


〜前回までのあらすじ〜
 とある事情で鳴子温泉まで行かざるを得なくなった八丁堀の古物業者。新幹線代を捻出できず、夜行の高速バスで出発。案の定よく眠れず、ふらつく足取りで曇りがちなる旅の空の下をさまようのであった・・。

 鳴子温泉までの道すがら、陸羽東線岩出山駅で下車、ねじ式の主人公になったつもりで知らない町を彷徨していると、いかにも地元の人御用達といった趣きのパン屋を見つけたので、入ってみました。中にはご近所と思われるおばあさん二人組の先客。なぜかインスタントのカップコーンスープを両手いっぱいに抱えていて、こちらを振り返ると、「これ、おいしいからオススメだよ」という意味のことをおそらく宮城弁で教えてくれました。どこにでも売っていそうなものに見えますが、一見の旅人にも言わずにはいられないほど美味なのかもしれません。とは言え、ようやく小腹が減ってきたところだったので、おばあさんのせっかくのレコメンドはさらりと受け流し、金時豆のパンを1個買って外に出ました。むしゃむしゃ歩き食いしながら、駅でもらった観光マップを頼りに竹工芸館に向かうことにしました。



 いい感じの川に遭遇したので、「いい感じの川だなあ」と凡庸な感想を浮かべながら歩いていくと、すぐに大通りに出ました。右に曲がると工芸館が見えます。岩出山の篠竹細工というのは、かつて武士の手内職として城主から奨励され、やがて農閑期の女性の仕事として伝わっていったものだそうです。ふだんは館内の作業場で製作している様子を見ることができるそうなのですが、この日は誰もいません。受付の女性に尋ねると、なぜか今日に限って会議が入ってしまい、みんな上の階に行ってしまったとのこと。これは、八丁堀の古物業者に細工の手の内を見せてはならないという、何者かの悪意でしょうか。疲れた頭に妄想じみた考えがのしかかります。どうする術もなく籠を一つ買って外に出ました。




 買ってから気づいたのですが、こんなフラジャイルな物体を旅の途中で買ってしまったら、その後の行動が面倒臭くて仕方ありません。自分のしたことに釈然としない気持ちでてくてく歩いていると、味わいのある建物を発見。岩出山伊達氏により開設された江戸時代の学問所「有備館」です。近くには古い造り酒屋もあり、この辺りは城下の文化が色濃く残る土地のようです。俄にいい旅夢気分に浸っていると、有備館駅に到着。実はこれから来る列車にはある人物が乗っているはずで、その人とは車内で落ち合う手筈になっているのでした。


有備館

森民酒造
再び陸羽東線に乗り込み、いよいよ鳴子温泉へ向かいます。車内には古川から乗って来たある人物ことA氏が悠然と座っていました。そしてこのA氏こそが今回の旅を画策し、自分を巻き込んだ黒幕なのです。
                                    (つづく)





2016年4月4日月曜日

遁世倶楽部

8日(金) 仕入のため14時開店
9日(土) 臨時休業
10日(日) 長野県松本市大手二丁目にある木工作家三谷龍二氏のショップ『10センチ』脇の空き地で開催される10センチノミの市に出店

どうぞよろしくお願いいたします。

 
 今となっては昔の話ですが、3月の中旬に出張と称して宮城県の鳴子温泉まで行ってきました。東京駅から古川経由で、陸羽東線を乗り継いで3時間足らず。しかしそれは新幹線というインフラストラクチャーの恩恵を蒙った場合の話で、自分の場合は予算上、高速バスを使わざるを得ません。そうすると、どうしても8時間はかかってしまいます。鳴子は奥の細道に縁のある土地、芭蕉の顰みに倣って徒歩で向かうのも一興ですが、かえって元手がかかりそうなので、妥協してやはりバスを使うことにしたのでした。
 23時40分東京駅八重洲南口出発のバスに乗って、6時35分古川駅着。駅周辺は、新幹線停車駅にありがちな何もないところです。何もないと言っても、もちろん電柱や電線、ビジネスホテルや七十七銀行の建物など、視界に入ってくるものはたくさんあるのですが、古川ならではのものを見出すことはできません。浅い睡眠で朦朧としながら、駅構内の待合室へ向かいました。

陸羽東線は宮城県遠田郡 小牛田駅〜
山形県新庄市 新庄駅 94.1キロを結ぶ
JR東日本の鉄道路線       


 待合室の窓から外を見ると、ときおりやって来るのは二両編成の陸羽東線。人間というのは二両編成の列車を目にすると、ただちに旅情をそそられる生き物です。思わずみちのくの空の下をどこまでも駈けて行きたくなりましたが、立ち上がると寝不足で足元がふらふらします。なにやら気分が悪く、腹が減っているのかいないのか分からない状態でしたが、「プロだったら飯を食え!」という山本小鉄の言葉が突然頭に浮かび、さっき見かけたタリーズに入って、トーストをもそもそと食べたのでした。
 列車の到着を待って、何をするでもなく座っているだけというのも、旅ならではの贅沢な時間の過ごし方。しかし考えてみれば、店にいる時もぼんやり座っているだけなので、これではいつもと変わらないことに気付いて、急に物悲しくなってきました。やがてやって来た列車に乗り込み、疾走する悲しみを携えて陸羽東線は鳴子温泉に向かいます。


どこまでも続くかのように見える線路。
列車を乗り継いでいけば、いつの日か夢の
カリフォルニアに辿り着けるかもしれません。

蛍光灯と壁面のパネルのコントラストの
侘しさが旅に来た実感を呼び覚まします。

 
 途中思うところあって、とか言って大して何も思っていないのですが、岩出山という駅で降りてみました。車窓から鉄道資料館の看板が見えてちょっと気になったのです。駅を出て隣接した資料館に入ると、手前は地場野菜やおみやげの販売、その奥に鉄道模型が設置してあるスペースがありました。オフシーズンの平日の午前中ともなれば、立ち寄る人など誰もなく、ひっそりとしています。あまりの侘しさに15秒ほど滞在しただけで脱出。堆積していく物悲しさと朦朧とした頭を抱えて、未踏の地を歩き始めました。
                                   (つづく)