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2016年5月10日火曜日

八八八

15(日) 大江戸骨董市の出店にあぶれてしまったので、店舗で
『あぶれ者たちの骨董市』を開催予定。他にあぶれた業者の方が
いらしたら、ぜひ当店でご一緒に。

22(日)・23(月) 会津若松の人間風車、相田雄壱郎氏による金継ぎ教室開催のため
18時に閉店。体中に国産漆が流れていると言われる相田氏のブログ「雄壱郎雑記」を
ご一読のほど。

28(土) 『詩について・対話篇 8回目』開催のため店舗営業は16時半まで。


 ひとつ一から出直さなくてはと急に思い立ち、どうせならいっそ五千年ぐらい前から出直そう、ということで長野県茅野市の尖石縄文考古館に行ってきました。新宿から高速バスで3時間、上諏訪まで行き、中央本線でひと駅茅野に戻り、そこからメルヘン街道バスで20分。降り立てば、すでに標高千メートルを越えた地なので、清澄な空気が辺りに漲っています。八ヶ岳山麓の台地に広がる尖石遺跡は、ここら一帯のみならず縄文文化全体を象徴する遺跡と言われています。
 

とても素敵な物件。突然の渡辺篤史の来訪にも
 なんら慌てる必要はない。          

当地で出土した土器を惜しげもなく並べて
います。並べまくっています。     

 考古遺物の展示を見ていつも思うのは、もし「スタートレック4」的なタイプワープでこの時代に行ったとしたら、果たして集落のみんなとうまくやっていけるかということです。ドングリばかりじゃなくてたまにはグラタンとか食べたいなーなどと、わがままを言うつもりはもちろんありませんが、分担作業をこなせずに迷惑をかけてしまいそうで気が引けます。イノシシ猟は危ないから土器作りに廻そうと、首長的な人にせっかく気を遣ってもらったのに、土の捏ねもろくに出来ずに、イラついた親方に石斧でぶん殴られやしないかとヒヤヒヤしたり。争いのない相互扶助の社会と言われる縄文文化ですが、現代人の鈍い感性に、さすがの彼らも少しムッとしやしないかと心配です。

遺跡の名前のもとになった尖石。当時は  
磨製石斧を作るときの砥石として使っていた
    のではという説もあります。           


 それにしても、これだけの豊穣な遺物が土の下に眠っていたのを思うたびに、不思議な気持ちになります。文字なき世界の詩句であり音階である土器や土偶の文様・造形のすべてを目にしたとき、かつて知られることのなかった壮大なオーケストレーションが全貌を顕わすのではないか、という夢想に浸ってしまいます。あまり夢想に浸りすぎたため、考古館の近くにある温泉でサウナに入り、尻をヤケドしてしまったくらいです。
 
尻をヤケドしたのでは?と思わせる造形。

大河原邦男の造形センスを五千年前に
先取り。             

 先日の八戸えんぶりのイベント、今回の八ヶ岳、そして八丁堀。この「八」の頻出は、何かの予兆でしょうか。今後の末広がりの暗示ならばいいのですが、八方ふさがりだと困ります。などと考えながらバスで新宿に戻り、思い出横丁に寄って岐阜屋でワンタンメンを食べてから家に帰りました。
 というわけで、今週もどうぞよろしくお願いいたします。




 



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