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2018年1月29日月曜日

寒冷時の慣例について

 朝まだき、凍てつく闇の中を行商の途につく。タイツを3枚重ね履きし、モンベルのジオラインを2枚着込み、カイロを体の各部位に7枚貼り付けて赤坂乃木神社へ。しかしこの日は曇り日で陽の光が射さず、万全に思えた態勢も通用しない寒さです。蚤の市は基本的に受け身の商売なので、タガメの待ち伏せのように来客をジッと待つしかありません。その間、体内のビタミンB1・C、マグネシウムといった冬場に消費されやすい栄養素はどんどん減少していき、体力が削られ目が霞み、幼い頃の光景が眼前に広がります。苛酷に思えますが、それが七つのカイロを貼る男の宿命であるならば、受け入れるしかないのです。『乃木神社骨董蚤の市』は毎月第4日曜日の開催。有楽町大江戸骨董市の1/25ぐらいの規模ですが、清廉な境内で開かれる市には、行商本来の味わいがあると思います。ぜひお出かけください。
 そして、もひとつ行商の宣伝です。2/11(土)・12(日)天王洲アイル駅近くの運河沿いの倉庫にて開かれる『天王洲ハーバーマーケット』という蚤の市というかアンティーク・マーケットに出店いたします。サイトをご覧いただくとお分かりになるとおり、大変に瀟洒なスポットでして、逆光は何か大きな勘違いをしているのか?とも思われそうですが、もとより過ちの多い人生であれば、そのあたりを今さらどうこう考えても仕方のないことです。美味しいものを食べて、花を愛で、服や古物を見て廻って、セロトニンを分泌しまくってください。第1回目ならではの初期衝動のおもしろさが漲っているはずです。こちらもスケジュールを空けておいてください。
 では、今週もよろしくお願い致します!









2018年1月24日水曜日

パラダイス・ロスト

 失ってはじめて気がつく、その存在のかけがえのなさに・・。今月の19日、ゆで太郎八丁堀店が閉店してしまいました。その旨を知らせる貼り紙を見たのは閉店2日前のことで、事の重要さにまるで見合わぬふうに貼ってあるものだから、以前から告知してたのにこっちが気づいていなかっただけなのか、実際に直前になっての決定であるのかも分からないぐらいでした。最終日は14時までの営業で、本の仕入を終えて13時半ぐらいに行くと、店内はふだんと変わらない様子でしたが、最後なので大盛りが無料とのこと。今の今まで半信半疑の体でしたが、それを聞いて本当に終わりなんだと思いました。肉そば大盛りにわかめをのっけて、ここでの最後の昼餐を味わいました。店が入っているビルごと立ち退きなのだと小耳に挟みましたが、詳しいことは分かりません。どうあれ、自分が確実に歴史の転換点に立ち会っているのだという気がしました。昼ご飯の主要な拠点を失い、これからどうしたものでしょうか。京橋の方に行けば「シェ・イノ」があり、三越方面に足を伸ばせばマンダリンの37階に「センス」がありますが、そこで肉そばやかき揚げ丼セットは食べられるのでしょうか。諸行無常が身に沁みるばかりです。


大雪が降った次の日のゆで太郎。在りし日の活気は
すでに無い。                 

自分にとっては日本銀行券と同等の価値を持つと言っても
過言ではないクーポン券。              

ということで、諸行無常っぽい品物のご紹介です。

白鳳期の瓦の残欠3点。
左:山王廃寺軒丸瓦 中:山王廃寺軒平瓦 
右:不明の軒平瓦

左:最大残存7×4 厚さ2センチ
中:最大残存11×11 厚さ2.8センチ
右:最大残存11.4×6.8 厚さ3.7センチ
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山王廃寺は群馬県前橋にあった7世紀後半の寺院。
現存遺品の少ない石鴟尾がこの寺で見つかっていて、
かなり華麗な寺院であったようです。豪族・上毛野氏の
      氏寺と云われています。山王廃寺の軒丸瓦には単弁の    
    ものもありますが、これは複弁の蓮華文です。      
山王廃寺の三重弧文軒平瓦です。白っぽいあがりで、
弧の部分は丸みがあって柔らかな雰囲気です。   
四重弧文の軒平瓦です。これ、どこの寺院か分かりません。
三重の智積廃寺の瓦に似ているようですが、だとすると、
白鳳末〜天平初期にかけてのものです。山王廃寺のものと
比べて、手取りが重く焼成も緻密な感じです。     
        
エリマキトカゲの鉛筆キャップです。エリマキトカゲは
1984年に三菱ミラージュのCMの地を走る姿で大流行を
巻き起こしました。これもそのブームに乗じて作られた
ものだと思います。1984年はグリコの毒物混入脅迫事件や
マハラジャ麻布十番店オープンのあった年です。




片側の目のシールが取れていることでいっそうの侘しさが
募ります。                     

7×6センチ
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品物についてはメールでお問い合せくださいませ。どうぞよろしくお願い致します。




2018年1月16日火曜日

浄法寺の三つ組の漆椀

 調べものをしに開店前に東京国立博物館の資料館へ。と言うと、曖昧なままの知識をゆるがせにしない学究の徒のように聞こえますが、ほとんど暇つぶしみたいでした。せっかく来たからと、読めもしない資料を閲覧請求したりして、それっぽく振る舞った後は平成館の考古展示を一周。仁和寺展が始まったばかりで、今のうちなら空いてて見放題にもかかわらずスルー。連絡通路から本館に渡って正面から外に出ると、春のように暖かな日和です。上野の山は、なぜかすごい速力で噴水前を駆け抜けたり、奇声を発する人たちで賑わっています。この猥雑な雰囲気が名残惜しいので、お昼はアメ横ガード下、声に出して読みたい名店「珍々軒」でチャーハンを食べました。悠々自適、というよりは無為徒食といった感じです。
そしてこのまま、母なるガンジスの如き悠久の流れに身を任せて商品紹介です。

フィリップ・K・ディック的な光景 
鼓動が早まるような麗しき盛りつけ



 茶色い浄法寺の端反りの三つ組椀です。黒漆が透けてこんな色になっているのかと思いきや、高台内の黒塗から察するに、意図的にこういう色を出しているようです。ベンガラを茶色寄りに発色させたのか、海老茶のような色味がモダンです。そしてその高台内に黄漆で描かれた梅の絵が胸を打つポイント。かわいいですね!器型と色から密教法具の六器を思わせますが、用途のほどはいかに。ブナと思しき材を横木の柾目で取った量産型の工程なので、これといって特別な使い途を意図したものではなさそうです。やはり食器として作られたものでしょうか。それでも端反りという、本来は金属器の強度を保つ必要に応じて生まれた形が漆器に写されると、どこか神聖な雰囲気を帯びて見えます。陶磁器ほどの共通見解が漆器にはないので、どうしてもひとりよがりな意見になりがちですが、とても魅力的なお椀です。


『浄法寺三つ組椀』江戸時代

一の椀 口径12.4〜12.8×高さ7×高台径5.7×6センチ
二の椀 11.8〜12.2×5×5.5〜5.6センチ      
三の椀 10.7〜11×2.5×4.4〜4.5センチ      




一の椀口縁に割れが走ってますが止まっています 
断文もきれいに出ています

黒漆の上に茶漆(ベンガラ?)を塗っています

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2018年1月9日火曜日

藤みたいな文様の描かれた太白手のような猪口

 日曜日は久しぶりの大江戸骨董市出店でした。お蔭様でこうして今年も行商に出向いて品物を広げられるというのは、なにより有り難いことです。開業から3年7ヶ月、綱渡りなどと云って、その綱ごと切れそうなところを毎度紙一重で渡り切るのもいいかげん堂に入る頃で、芸の域に達しつつあるならそれはそれで良いものです。とはいえ、よほど心臓にモサモサと毛が生えてなければ、なかなか生きた心地がしないもので、今年は出雲大社の大注連縄ぐらいに頑丈なところを渡っていけるよう、盤石な足場作りに精進したいと思っております。そしてそのまま流れるように商品紹介です。ここで縄にまつわる品物でもアップできればいいのですが、そういうものが無い。ので、連想です。縄→君の縄。→君の名は。→男女入れ替わり→転校生→小林聡美→やっぱり猫が好き→サン・トワ・マミー→越路吹雪→宝塚→手塚治虫→神様→カール・ゴッチ→五輪書→オリンピック→地価高騰→バブル→石鹸→白→太白手
というわけで、瀬戸・美濃系の太白手の猪口をご紹介いたします。

藤らしき花が手慣れた筆致で描かれた蕎麦猪口です。瀬戸なのか美濃なのか、太白手に分類されるのかどうか・・と、あいまいで恐縮ですが、見所たくさんの一品です。貫入びっしりのクリーム色の釉と対比を成す濃いめの呉須と靄のように入った染み。貧数寄的な冷え枯れというよりは、南仏の軟陶やデルフトあたりと相性の良さそうな明るさがあります。

『太白手蕎麦猪口』江戸後期
口径7.1×高さ6.3×底径5.7センチ





高台縁のやや大きめの欠けには丁寧な銀直しを施して
もらいました。その他小さなホツが数箇所。    

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